アスキーフットサルパーク松阪の河端です。
先週末は臨時休業を頂戴し、ありがとうございました!
個人的な話ではありますが、激動の週末を過ごしておりましたので、ここに残しておきたいと思います。

2/21(金)
施設の営業を終え

2/22(土)
まずは大阪へ

大阪マラソンの受付!
今まで地方のマラソンしか出たことなかったけど、大きなレースは外国籍の方が非常に多いんですね。
海外のYouYuberたち、撮影しまくっていました。

いや~都市型マラソンなめてた。むっちゃ人多いやん。

ゼッケンもらい待ち。

無事に受付を済ませ、新幹線で新大阪→小倉。
在来線に乗り換え、小倉から大分県の中津市へ。
翌日は大分でフットサルの試合のため前泊です。

中津市は福沢諭吉アニキの生誕地だそうです。
イキりたい盛りの大学生も両手ピースでソロショットを撮ってしまうほどの破壊力。
これが諭吉ニキの力。いや、一万円札の力なのか。。

2/23(日)
中津市から別府市へ移動。
会場の別府・ビーコンプラザ
僕は松阪に来る前にFリーグの「デウソン神戸」というクラブで働いていたのですが、その際に初めてのAWAY遠征で来た会場、そしてFリーグ初勝利をさせてもらった場所がこのビーコンプラザでした。
我々デウソン神戸も、そのときの対戦相手であった「バサジィ大分」もFリーグ開幕にあわせて立ち上げられた新興クラブで、フロントスタッフの我々にとっても初めてのトップリーグ運営。
右も左もわからない状態から手探りでスタートした1年目でした。
当時、伝統も経験もあるクラブがFリーグに参戦する中、同じような境遇であった大分のフロントの方々とはよく連絡を取りあって情報交換をさせていただいたり、励まし合った仲でした。
このときの遠征でも、対戦相手にも関わらず本当に良くしていただいたことをよく覚えています。
それ以来、18年ぶりの別府。
何と今大会を運営していただいた大分県サッカー協会の職員として、当時お世話になったバサジィの広報の方がいらっしゃり、声を掛けて下さいました!
僕が選手として別府に戻ってくることなんて自分でも想定外中の想定外。
きっと僕が来ることを事前には知らなかっただろうから、よく見つけてくれたなーと思います。
覚えてくれていたことが本当に嬉しかったです。
他にもデウソン時代のチームメイトや当時のFリーグ関係者の皆さんと、ほんの一瞬でしたが再会できたこと、観戦者という立場ではなく、彼らと同じ舞台に戻ってこれたことを誇りに思える時間でした。

感傷に浸っている場合ではありません。
肝心の試合です!
まず個人的な話をすると、何とかギリギリ試合の登録メンバーには入ることができました。
(フットサルの公式戦はベンチ入り選手を14名しか登録できません。)
が、ピッチに立つことはできませんでした。
実力的には当然の結果だし、そもそもベンチ入りも当落選上だと思っていたので、理解はしまくっているけど、もちろん選手としてやるからには試合に出て活躍することを目指しているので、今回も悔しい想いを味わってきました。
チームとしても九州代表の「アイズ福岡」に3-6で敗戦。
事前のスカウティングで、かなりクオリティの高いチームだという情報を得ていましたが、いざ同じピッチに立ってみると映像以上のものがありました。
負けているにも関わらず、相手が上手すぎて簡単に間合いを詰められない。
やっている選手も、観ている側も、非常にもどかしい試合だったと思います。
上には上がいるなと。
そして、翌日の2回戦ではアイズ福岡は今シーズンのFリーグ3位の「しながわシティ」と対戦し、残り5分まで1点差の接戦を演じるも、そこから大量失点し3-8で敗れています。
(おそらくパワープレー返しではないかと。)
そう考えると、プロの世界はとてつもなく遠いなと感じます。
試合にも出れなかったし、チームも負けてしまい、非常に残念な結果ではありましたが、普段身体をぶつけあって練習し、身をもってその実力を感じているチームメイトたちが、あんなに簡単に剝がされてしまう光景を目の当たりにした経験は、今後に活かしていきたいと思ったし、特別なテクニックやフィジカルでやられたわけではないということにフットサルの面白さを感じる試合でもありました。
目の前の相手との駆け引きや、チームとして配置や動きが整理されて、人と人が常に「繋がり合っている」ことで、特別な能力がなくても強くなれるのがフットサルの面白さ。
もうすぐ40歳を迎える自分ではありますが、まだ上手くなれると思うし、仕事柄この面白さをどうお客様に伝えていくべきなのかということは考えていかなきゃいけないなと感じさせられる出来事でした。

1回戦負けではありますが、全国大会に「松阪」の名を刻めたことは誇りに思いますし、そこに関われて本当に良かったです。
簡単なことではないけど、また戻ってきたいと思える舞台でした。

今回の遠征、何せ場所が遠くて莫大な資金が必要になった中で、アスキーのお客様にも寄付のご協力をいただいた方がいらっしゃいます。
改めて、今回ご支援いただいた皆様、本当にありがとうございました。

もし試合に勝っていたら、翌日も大分で2回戦を戦うつもりでしたが、負けてしまったので、試合が終わって即移動です。
再び大阪へ。今度はフェリー。

完全にタイタニック。
大分→大阪は新幹線で移動したら2万円近くかかって、それに大阪での宿泊費がかかりますが、フェリーは17,000円ほどで移動も宿泊も兼ねており、レストランや大浴場もあって快適に過ごせます。
一晩寝てたら着くので、電波がないと発狂する携帯依存症の方でなければ結構オススメ。

部屋は狭いけど、都会のビジネスホテルも結構狭いので、そんなに遜色ないと思います。

次の戦いは大阪マラソン。
フットサルの全国大会とフルマラソンのハシゴしてるの、世界中でも俺だけやろ。

2/24(月祝)
6:20着岸。
航海中に船内で急病になられた方がいたようで、初めて「お客様の中に医師や看護師の方はいらっしゃいませんか?」という現場に遭遇しました。
看護師の方がいらっしゃり、無事に下船されたようで何よりです。
(そういう意味ではフェリー怖いよね。途中下車ないもんね。)
旅行という最も気が緩んだ状態から、いきなり緊迫した状況に放り込まれた中でも、命のために冷静に力を発揮できる医療従事者ってめちゃくちゃすごいですよね。
改めてリスペクトだなと感じた出来事でした。

メイン会場である大阪城公園に移動し、いよいよスタート。
いや~3万人のスタートはなかなかのものでした。
みえ松阪マラソンの3倍以上のランナーが走るのに、トイレの数が1/5もないぐらいで、スタート前のトイレ待ち45分。
計算狂いまくってノーアップでスタート。
これが都市型マラソンの洗礼なのか!?とビビっていましたが、レース終わってSNS見たら大炎上してました。笑

この日は気温が低く、後半はずっと吹雪。
給水の水は常温なのですが、コップの中に雪が入ってキンキンに冷えていてちょっとイヤでした。笑
あと、給水が下手すぎて毎回胸をびしょ濡れにしてしまう勢の僕にとっては、給水のたびに服が濡れて寒くなるので結構大変でした。
寒いの嫌い。

しかし、レースは絶好調。
レース2週間前から段階的に練習量を落としてきましたが、数日前になっても全然コンディションが良くならなかったし、おまけに2日間で約1,500kmの大移動。
厳しく、苦しいレースになることを覚悟していただけにビックリでした。
周りを走っているランナーから「この坂キツい」とか「風が強い」と聞こえてくるような場面でも、普段僕が練習している松阪の田舎道に比べたら、この程度の坂や風はあってないようなものでした。
田舎者で良かった!
2年間目指し続けてきた【フルマラソン3時間30分切り】を確信し、残り8kmで感極まってウルウルきてしまいましたが、「いや、待てよ。冷静にまだ1/5あるやんけ。ここから足攣ったら達成できやんかもしれんぞ?」と冷静になり、最後まで気を抜かずに走ることができました。

3時間23分44秒
自己ベストを15分も更新する会心の走りで目標達成です!!
が、残り8km地点で一旦感極まり終えているので、ゴール後に喜びを最大値で爆発させることができませんでした。笑
これが今大会唯一の後悔。

フルマラソン3時間半は市民ランナーの上位10%と言われるタイムです。
能力の高い人であれば、もっとサクっと叶えていく記録だと思います。
しかし、僕にとっては2年間目指し続けてきたもの。
(最初はサクっと叶えるつもりだったけどな!!!!)
雨が降ろうが、雷が鳴ろうが、雪が降ろうが、少々体調が悪かろうが、自分との約束を守り続けてきた2年間。
これができる自分はマジで尊い!!!!!!!!!!!!
例え能力が低くても、運動神経が悪くても絶対素晴らしい存在だ!!!!!!!!!!!!
そう思える最高の経験でした。
スポーツで社会を豊かに!
フットサルをメジャースポーツに!
と、壮大な夢を掲げた20代。
しかし、仕事でもプライベートでも様々な困難に直面し、身の程を知った30代。
いつの間にか夢を語ることは僕にとって非常に難しいことになっていました。
それでも、様々な方に支えられ、身の丈にあった小さなことではありますが、再び夢を描き、それを語れる自分が返ってきました。
何歳になっても夢を叶えられる
これは家庭を持ち、特に子どもが生まれてからの自分の人生のテーマとしてきたことです。
何歳になっても夢を持っていいし、その夢に大きいも小さいもない。
自分自身が熱くなれたり、感動できるものならそれでいい。
夢を目指していく過程は人生を輝かせるし、夢を叶えた瞬間の達成感は人生に彩りを与える。
僕は自分の子どもたちに教育的な発言をすることはあまりありませんが、自分の姿を通してそういうことを感じてもらえたらいいなと思っています。
また、日頃アスキーで関わりを持たせていただいている同世代のオジさんたち、また近い将来そのような年齢になるであろう若者たちに向けてメッセージを発信しているつもりです。
まだまだかっこいいオヤジでいれるはず!
子どもたちに夢を託すにはちょっと早くないか?
子どもたちに伝えている「頑張れ!」に説得力はあるのか?
自分の挑戦する姿を見た人が、そのようなことを少しでも感じてくれたり、実際に行動が変わったりしてくれたら嬉しいなと思って、不器用ながら日々の活動を発信してきました。
実際に僕に影響されてランニングを始めたと言ってくれる方が何名かいらっしゃいます。
非常に嬉しいことです。
そのような方々にちゃんと夢が叶うということを証明しないと、僕は詐欺師になってしまうので、時間はかかりましたけど今回それをきちんと証明できて本当に良かったなと思っています。
家族、お客様、ランニング仲間、フットサル仲間。
多くの方の存在を背中に感じながら共に走った、最高の42.195kmでした。
皆さん、2年間のサポート本当にありがとうございました。
少し休んだら、また新たな夢を見つけて走り始めたいと思います。
もしこれを見て、何か感じて下さった方がいるのであれば、是非一緒に走りましょう。
この2年間の経験を活かして、誰かの夢に向かう過程を伴走できたら嬉しいです。

いや~それにしてもゴールした後、薄着で手荷物受取1時間待ちはキツいって。笑
これが都市型マラソンの洗礼なのか!?とビビっていましたが、レース終わってSNS見たら大炎上してました。笑(Part.2)
というわけで、3連休臨時休業中の活動報告でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメントを残す